花札は老若男女で楽しめるゲームというイメージがあります。最近はルールを知らない人も増えていますが、親戚との集まりで必ず行うというご家庭もあるのではないでしょうか。実際、江戸時代から庶民の間で流行していたようです。今回は花札の歴史について調査しました。
花札の歴史
花札の歴史は長く、花札の元となったかるたは安土桃山時代までさかのぼります。花札自体は江戸時代に考案されました。一時期江戸幕府により規制がかかりますが、明治時代に売買が許されるようになった後に一気普及し、現在に至ります。
花札の由来
日本に初めてかるたが伝来したのは安土桃山時代です。もともとはポルトガルの宣教師から伝わったもので、ポルトガル語でカードゲームを意味する「carta」が「カルタ」の語源となりました。その後日本でアレンジされて「天正カルタ」や「ウンスンカルタ」ができ、現在の花札になったのは江戸時代中期と言われています。
江戸時代は幕府により賭け事が禁止されていたため、カルタも規制がかかっていました。一方、教育的なものとして百人一首などは許可されていました。花札はそのような時代に、一見賭け事とばれないようなかるたとして考案されたようです。
花札の絵柄
花札の大きな魅力は美しい絵柄です。日本の四季が表現されていて趣がありますね。花札が絵柄だけになった理由は、数字を入れると賭け事だと思われて幕府に見つかってしまうためと言われています。
花札 絵柄は季節の植物が描かれていて、一組は1月から12月までそれぞれ4種類ずつの計48枚です。
花札の起源となったカルタ
花札の起源とされるものに「天正カルタ」や「ウンスンカルタ」があります。天正カルタはポルトガルからカルタが伝来してすぐに日本国内でつくられました。それが禁止されたため、ウンスンカルタが作られたようです。ウンスンカルタは1702年ごろに作られたという説があります。どちらも現存するものが少なく、不明な点が多いカルタです。
天正カルタ
天正年間(1573年から1592年)につくられ、流行しました。絵柄はポルトガルから伝来したものを模していて、コップ、金貨、剣、こん棒の4種です。2から9までの数字札と4枚の絵札があり、計48枚のカードで遊びます。絵札には王、騎士、女官、竜が描かれていて西洋的です。見た目も遊び方もトランプに近かったと言われています。
ウンスンカルタ
天正カルタから派生したものと言われているウンスンカルタ。絵柄は日本、西洋、中国が入り混じったようなもので独特であり、どこが発祥なのかはっきりとはわかっていません。5種類の絵柄が15枚ずつ、計75枚のカードで遊びます。これは大人数で遊べるように改良されたもので、代表的な遊び方は8人で遊ぶものです。ルールは少し花札に近くなっています。
幕府の取り締まりによりウンスンカルタは衰退しましたが、熊本県の人吉地域は取り締まりを逃れ、現代でも愛好家などの手によって残されています。
まとめ
花札の歴史は長く、16世紀に日本にもたらされたカルタが発展してできたものです。花札は、賭け事として見つからないようにするため、絵柄のみのカードとなりました。花札のもととなったカルタとして天正カルタやウンスンカルタが挙げられ、ウンスンカルタは現在も熊本県人吉に残っています。
古くから庶民に親しまれ、美しい絵柄と家族みんなで楽しめるところが人気の花札。近年は行う機会が減ってきましたが、久しぶりにやってみたくなりますね。